ダイバーシティ経営に求められる「個人の役割」と「キャリア自律」
~個人の想いと会社のパーパスを繋げ、組織の未来をつくる~
法政大学 キャリアデザイン学部教授 武石 恵美子 氏
東京海上日動火災保険株式会社 人事企画部 人材開発室 マネージャー 堀 豪志 氏
今回のダイバーシティ研究会では、法政大学の武石教授をお迎えし、ダイバーシティ経営に求められる個人の役割とキャリア自律についてご講演をいただき、さらに、東京海上日動火災保険の堀様より、個人と組織の想いを融合させ、個人の力を組織の成長につなげるための具体的な取り組みとポイントをご紹介いただきました。
以下は研究会の要旨です。
【PART1】 ダイバーシティ経営における従業員モデル
法政大学 武石 恵美子 氏
Demography(高齢化に伴う労働力人口の減少)、Diversity(表層・深層両面での人材の多様化)、Digitalization(デジタル技術による雇用・労働への変革)等、人材やキャリアを取り巻く環境変化に伴い、人的資本経営、リスキリング、ダイバーシティ経営等、人材マネジメントに関する新しいキーワードも多く出て来ています。これらのキーワードは相互に関連しており、整理すると、より個人に焦点が当てられ、個人の能力発揮が組織の力や価値に繋がっていくと捉えることが出来ます。個人の力を組織の成長に繋げるためには、ダイバーシティ推進とキャリア支援の密接な連携が重要ではないかと考えています。
ダイバーシティ経営においては、”ブロック塀”のように組織が必要な人材を作り組織の力にする組織主導の人材開発ではなく、”石垣”のように異質性や個性を大切にし、個々人の強みや弱みを踏まえて能力発揮する個人主導のキャリア開発が必要です。一人ひとりの「違い」にこそ価値があり、「違い」が強みになるため、自身の独自性やユニークさを自覚し、それを発揮する必要があります。また、一人ひとりの中の「違い」を研ぎ澄ますこと、即ち個人内多様性(intrapersonal diversity)を拡げていくことも企業側の視点として大切です。この独自性の発揮と多様性の拡張は組織主導では限界があるため、「自己決定」が重要であり、自律的なキャリア開発へ繋がっていきます。自律的なキャリア開発のためには、個人の主体性・能動性が鍵であり、そのための内発的動機付け、ワーク・エンゲージメント、自己効力感やレジリエンス等が注目されています。これらのことからも、「自律的に考え行動する人材」こそ、ダイバーシティ経営における従業員モデルの1つなのではないでしょうか。
では、自律的な従業員とはどのような従業員なのか。「自律的」とは、内発的動機づけにより、自分自身の選択で行動していると心底感じられることですが、自由放任ではなく、身近な集団や社会の価値・ルールを受け入れ、周囲に順応しようとしていくこと(内在化)も求められます。この「関係性への欲求」により、人は集団成員として社会化され、それを自身の中で統合し、自分らしくあろうとします。組織の要請を受け入れて前に進むということも、「自律」の一つの姿といえます。ただし、組織のパーパスや目標を受容しつつも過剰に同調しすぎないことも必要であり、これらのことからも、組織内キャリア開発においては、「自律」と「規律」の両立が極めて重要であると言えます。
組織に求められる対応としては、まず「従業員の自律支援」が挙げられます。自律的にキャリアを形成したいと思う従業員が多い一方で、自律的にキャリア選択することに難しさを感じている割合が多いというデータも明らかとなっていることから、不活性化層の存在を前提にしたキャリア自律支援が必要ではないでしょうか。また、「組織と個人をつなぐ”職場”の役割」も重要です。個人の展望や希望、挑戦や発意を尊重しつつ、組織からの要請も伝えることにより、個人と組織のベクトルを調整する必要があります。統合するプロセスがいかに上手く作れるかどうかは、「共創的な対話」こそ要であり、そのための心理的安全性の確保や、適切な組織マネジメントが可能なマネージャーの存在も不可欠です。更に、自律が組織からの遠心力となる可能性があることから、「自律的な個人のリテンション」の対応も必要であり、”employmentability(優秀な人材を雇用しうる組織側の能力)”への注目も高まって来ています。ただし、離職の選択肢があることも従業員のキャリア形成において重要であり、それを組織課題にフィードバックすることが大切であると言えます。
【PART2】 社員の想いと会社のパーパスを繋げる取組み「LINK」
~社員と会社双方の持続的な成長に向けて~
東京海上日動火災保険株式会社 堀 豪志 氏
当社は1879年に創業し、損害保険事業を中心に、海外も含め様々なサービスを展開しています。日本初の保険会社として、創業以来、お客様や地域社会の”いざ”をお守りすることが当社の強いDNAとして受け継がれています。
1.東京海上日動における人的資本経営
保険事業は「People’s Business」と言われています。損害保険は目に見える商品ではないからこそ、成長の原動力は人であり、それぞれの人が持つ想いや熱意、「人」の力を最大化し、一体感のある組織を作り上げ、当社の掲げるパーパスを実現しつづけることこそが私たちがめざす人的資本経営のゴールであると考えています。
2.LINKの取り組み全体像
当社では、会社と社員の立場は、どちらかが上位ではないフラットな関係であり、一緒に手を取り合い、お互いに成長していくことが重要であると考えています。この考えを出発点とし、2023年6月より、働くすべての社員一人ひとりの想い(=”My Aspiration”)と会社のパーパス・組織の目指す姿がつながることで、お客様や地域社会も含めて社会に大きな循環を生み出していくことを目指す「LINK」という取り組みを推進しています。LINKの目指すべきゴールは、「個人の想いとパーパスの繋がりを通じた個人・会社双方の成長の実現」です。My Aspirationとは、自分自身がこころから願う未来に向けた譲れないこころざしのことであり、お客様のため、社会のために実現したいことを、全社員一人ひとりに描いてもらっています。My Aspirationを出発点として、まずは一人ひとりの想いを明らかにし日々の行動を変えていき、次のステップとして、個人の想いを会社のパーパスや組織と繋ぎ、仲間とともに行動していく、そしてその先のステップとして、より良い社会づくりへの貢献へ繋げていく、これらのサイクルを循環し続けていき、さらに多くの”いざ”を支える未来を皆でつくっていきたいと考えています。
社内の反響としては、賛同や共感の声も多かった一方、”自分のMy Aspirationに確証が持てない””日常業務との繋がりを見出すことが難しい””組織の目指す姿を作成し、メンバーに語ることが難しい”といった声も上がりました。これらのことからも、My Aspirationを描きLINKさせることは簡単に達成出来るものではなく、上司・同僚・チーム間で対話する機会を設けることも重要であると考えました。
3.具体的な浸透施策
①My Aspirationチャレンジ(アスチャレ)
全従業員がMy Aspirationを描き、上司・部下間で必ず対話をします。2024年度より人事考課面接を「My Aspirationチャレンジ」として新たに運用し、年3回の面接に加えて、原則月1回実施する1on1を通じ、上司・部下間でMy Aspirationと会社のパーパス・組織のめざす姿とのつながり(LINK)を確認する対話を継続的に実施しています。
②LINKダイアローグ
全組織でMy AspirationとLINKを語り合う場です。上司がファシリテートしながら、部下5~7名とともに組織内での対話を年2回実施しています。会社のパーパスや組織のめざす姿について組織メンバー間で確認し合い、同僚との相互理解を深めることを目的としています。My Aspirationに加えて、お互いのキャリアビジョンについても共有することで組織の一体感を醸成しています。
③TM Meet Up
非日常の場で行うメンバーとの深い対話の機会です。部店単位で実施するLINK推進を目的とした終日の体験型研修で、日常の職場を離れ、専任ファシリテーターによる深い対話の機会を提供しています。「自分とつながる」「仲間とつながる」「明日へとつなげる」の3つのパートで構成されるプログラムを通じて、My AspirationとLINKの言語化を支援する取り組みです。
4.今後の展望
パーパスの浸透は終わりのない取り組みです。どうしたら社員一人ひとりがMy Aspirationを描きやすくなるか。多彩なLINKストーリーのナレッジを展開し、LINKに基づく社員の挑戦の場の創出やキャリア自律とどう繋げていくか。今後も、丁寧に社員の声を聞きながら、施策のブラッシュアップをさらに図っていきたいと考えています。
【PART3】 対談「個人の力を組織の成長につなげるために」
法政大学 キャリアデザイン学部教授 武石 恵美子 氏
東京海上日動火災保険株式会社 人事企画部 人材開発室 マネージャー 堀 豪志 氏
■武石氏「東京海上日動社の取り組み内容を伺い、コンセプトをしっかり考え、全体像を明確にされているからこそ、この取り組みが一過性のものではなく、今後組織に根付いていくものであると感じました。My Aspirationに関しては、各個人で考えて終わりではなく、上司・同僚・チームと対話をする機会を設けられていることもポイントです。自身のAspirationをなかなか考えられない人も、他者の考えを聞く機会があることで、何かヒントに繋がると思いますし、他者の考えを聞くことで、自身の考えを柔軟に変えていける仕組みは素晴らしいと思います。」
■堀氏「当社では、コンセプトや何のためにやるのかといった理由(Why)に関して、多くの時間をかけて話し合っています。やはり理由の明確化は重要です。また、My Aspirationを上司や同僚に話す際には、何故その想いを描いたのか、自身の価値観やこれまでの経験を踏まえて描いた背景を自己開示しながら説明するため、他の方との相互理解の促進に繋がっているという気付きを得ました。」
■堀氏「一方で、”My Aspirationを上手く描けない””自分の思いを言葉にすることが難しい”といった声もよく耳にします。当社では、相談を受けるマネージャー側と相談する側の支援策を双方展開しています。マネージャー側に対しては、対話力や引き出し力向上のため、マネジメント研修内において、My Aspirationを描けない人への問いかけ等をテーマとして扱い、各組織におけるマネージャー同士のディスカッションの時間を設けています。相談する側という視点では、全社員向けに自身のキャリアをどう考えたらよいか分からない人へ向けたガイドツール(フューチャーデザインガイドブック)も用意しています。」
■武石氏「例えば、社内公募等、自身で選択出来る仕組みをつくることも重要である一方、選択すること自体が難しい人も多いと思います。誰かに指示された道を何の疑問も持たず進むのではなく、”何故なのか””自分にとってはどういう意味があるのか”、対話を通して自身の中で内在化していくことが重要です。選択出来る強い個人をつくることも必要ですが、選ぶことの出来ない人に対しても方向性を示して一緒に考えていく、そのような自律の仕方も必要ではないかと思います。」
■堀氏「当社では、トップがしっかりコミットし、中期経営計画として戦略の中にLINKが組み込まれていることがまず大きいと思います。多彩な社員のAspirationを遠心力、会社のパーパスを求心力と捉え、その双方を高めていくということを繰り返し発信しています。その上で、マネージャーの負担を軽減する取り組みとして、チームを小分けにし、ユニットリーダーとしての役割をつくり、管理スパンのサイズを小さくする工夫をしています。また、マネージャーの対話力向上のため、アンラーニングの仕掛け等、ここ数年で様々な支援策を充実させています。」
■武石氏「時代の変化と共に、マネージャーに求められる能力や質も変化して来ていると感じます。業績を上げることがマネージャーの役割ではなく、対話が出来るか、部下の思いや考えを引き出す能力があるか。そのような能力を踏まえた管理職登用の方法も考えていかなくてはならないのではないかと思います。」
■堀氏「My Aspirationが、チームや周囲に貢献し、誰かを支えることであるという社員も多くいます。先生のお話を伺って、改めて「内在化」にあたって重要なのは、その仕事が組織の目指す姿としっかり繋がっていることを誰かが言葉にして伝えてあげることだと感じました。また、LINKの仕組みを浸透させる上で、人事考課面接に取り込んだことは一つの大きな転換点でした。共通言語で語れる仕組みをつくったことで、その後の施策にも展開することが出来たと考えています。」
参加者の皆様へのメッセージ
■堀氏「LINKのような取り組みや施策は、各社の状況や時代によっても異なり、変化していくものであると理解しています。試行錯誤の連続だと思いますが、是非他社の皆様と良いものを吸収しあう機会があれば嬉しく思います。」
■武石氏「どのようなAspirationを描くのかが重要なのではなく、描いたAspirationがその先に何を生むのか。自身のAspirationを拠り所として、もう1度やりたいことを考えることが重要です。それが人生を豊かにし、働き甲斐に繋がっていくのではないかと思います。」
◎研究会を終えて
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研究会の内容は参考になりましたか
(参加者アンケート結果から) -
参加者の意見・感想は・・・
理論的な枠組みを解説いただいた後で、事例を教えていただき、大変分かりやすく、自分の中で消化不良だった部分も整理できた。 武石様のお話で、自律的なキャリア開発は自由放任ということではなく、経営目標を受け入れることが前提ということが非常に腹落ちした。与えられた役割の中において、意味付けをしていくことが重要だと感じた。堀様のお話を伺い、社員の自律性を高めるとともに会社の求心力も高めるために、管理職の対話力はキーポイントになると感じた。 武石先生のお話がとても現実に即したもので納得感が高かった。キャリアの自律と会社の事情との折り合いをどのようにつけていくか、という点でとても参考になった。 東京海上日動火災保険様の事例はそのプロセスや社員コミュニケーションの素晴らしさはもとより、大変パッションを感じるプレゼンテーションだった。 東京海上さまのMy Aspirationをきっかけに、上司・チーム・チーム外での対話を重要視されている点が大変勉強になった。 多様性を拡げるために必要な自律的なキャリア開発について拝聴でき参考になった。また、実際に自律的なキャリア開発に取り組んでいる事例についてお伺いでき、いい機会だった。 社員と会社での対話の機会についてどのように行っていくか参考になった。 自律について考え方が深まったとともに、個人の想いと組織のパーパスを繋げる方法(浸透策)に関して参考になった。 東京海上日動さんのMy Aspirationと会社のパーパスの紐づけさせ、業務目標への組み込みや対話の場を設けるにあたっての苦悩、トップのコミットの重要性などを知ることができ、参考になった。周囲へ貢献したいという想いを持つ方が多く、誰かを支えるというMy Aspirationもあるというエピソードは、個人的にも非常に共感した。 キャリア自律の取り組みを全社として導入するだけでなく、管理職に対し負荷を軽減する工夫もされていることが、良いと感じた。 -
登壇者の感想は・・・
法政大学 キャリアデザイン学部教授 武石 恵美子 氏
「ダイバーシティ経営では働く人個人の自律が重要になっていますが、「組織の中の自律人材」というものを丁寧に定義する必要があると思っています。組織内での「対話」を通じて「自律」と「規律(統制)」の調和を図ることが重要であることをあらためて認識しました。ダイバーシティ経営を起点に、人事の挑戦が進んでいます。」東京海上日動火災保険株式会社 人事企画部 人材開発室 マネージャー 堀 豪志 氏
「多彩な社員の想いを引き出して会社のパーパスと繋げる取組み「LINK」は、当社において始まったばかりで試行錯誤しながら進めている状況ですが、少しでも皆様の参考になったならば幸いです。社員のキャリア自律の促進は各社共通の重要テーマであり、ぜひ意見交換を通じて皆様と一緒に進化させていきたいと考えています。」